AIの責任の空白は誰が引き受けるのか
ルターの驢馬と舟の裁きからローマ法の特有財産、エア・カナダとテスラの判決、EU指令の撤回までをたどり、人工知能の責任の空白が発見ではなく配分の問題であることを示す。
人工知能の行為主体性、そこから生じる出来事の法的な帰結、そしてこの方程式における人間の取り分について 一五四六年に立てられた法の問い 一五四六年、マルティン・ルターの卓上語録に書き留められた一件がある。ひとつの訴えが語られている。 粉屋の驢馬が中庭から逃げ出し、川岸へ下りていく。水を飲もうとして、つないでいない漁師の小舟に足をかける。舟は流れに乗り、驢馬を乗せたまま流されていく。 粉屋は驢馬を失った。漁師は舟を失った。 粉屋は言う。漁師が舟をつなぐのを怠った。漁師は言う。粉屋が驢馬を家に留めるのを怠った。 文の途中に、ラテン語の問いが置かれている。Nunc sequitur quid sit…
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